目次 

第1回 知事の土俵入り、待った!

第2回 USJと、ほんまの大阪商人センス

第3回 奮闘! 大阪モードの仕掛け人たち =上=

第4回 奮闘! 大阪モードの仕掛け人たち =下=

第5回 大阪は、こけてもただで起きひんでぇ!!

第6回 ストレスためんと、お金ためましょ!

第7回 『浪速の"いとはん"人情物語』[上]

第8回 『浪速の"いとはん"人情物語』[中]

第9回 『浪速の"いとはん"人情物語』[下の(1)]

第10回 『浪速の"いとはん"人情物語』[下の(2)]

第11回 新春恒例!女たちの”大阪・冬の陣”

第12回 夕陽に向かって涙した青春

第13回 みにくいアヒルの子

第14回 美穂の”九死に一生”事件ファイル

第15回 夏の日のおもいで

第16回 小春はん (その一)

第17回 小春はん (その二)

第18回 小春はん (その三)

第19回 小春はん (その四)

第20回 小春はん (その五)

第21回 小春はん (完結編)

第22回 浪花の“第九”はスケールがちゃう!

第23回 2003春夏大阪コレクションリポート

第24回 涙の胃カメラ物語

第25回 ああ審査員

第26回 縁は異なもの、宝物

第27回 男のロマン?

第28回 (その2) あんさん何者でんねん?

第29回 (その3)親バカならぬ"上司バカ"

第30回 (その4)英語やったら任せなさ〜い

第31回 (その5)愛される人になるんだ

第32回 (その6)社長さんのお友達

第33回 (その7)社長の寂しげな笑み

第34回 (その8)マザコン、半端やないよ

第35回 (その9)こんな社長でんねん

第36回 (その10)同志の関係

第37回 (その11)そんなん、嘘や!

第38回 完結編 私、幸せやったわぁ

第29回 オー! マイボス!!
親バカならぬ"上司バカ
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小山美穂
 「小山君は一見、愛想が悪くてとっつきにくい感じがするが、その割にはユーモアもあるし、大きな柄には似合わないほど繊細な気配りができる。(それ、褒めてくれたはんのん? くさしてはんのん!?)初対面のときから、君にはキラリと光るものが秘められていると確信していたんだが、それがどういう才能なのか、オレにもまだ見えてこないんだよなぁ…」。一人前の"女房役"を目指して、弛まぬ修行を続ける毎日やったけど、社長が時おり漏らすこんな言葉に、何とも言えんプレッシャーと焦りを感じて、深ぁ〜いため息をついてしまうこと、ようあったんですよ。


 けど、私のいたたまれへん気持を察してか、社長はいつもその後に「自然の流れに任せていれば、君が能力を発揮できる場は必ず訪れる。うちを辞めるのはお嫁に行く時だというぐらい、気楽に構えていればいいんだよ」と付け加える優しさを忘れはりませんでした。(ほんまは、私もここで働くのん、面白いし、好きやわぁ。けど、こんな大事にしてくれはんのに、仕事でお応えでけへんのが申し訳のうて…)。
友人の"遺言"
 ひとり悶々としてたある日、私を社長に強ぅ推薦してくれた友人が、ひょっこりと事務所に顔を出しました。友人とはいえ、彼女は社長と同世代。東京で高校の社会科の教師をしてた時に、8つ歳下の大阪出身の建築家と大恋愛、あっさりと教職を捨てて大阪に出て来た後、独学で1級建築士の資格を取ったという努力家で、私にとっては、自立した女性の素晴らしいお手本であり、憧れの的でもありました。

 友人は何を血迷うたんか、開口一番、社長に言いました。「美穂ちゃんをきちんと育てることができたら、貴方の会社は絶対に発展するわ。ちょっと気難しいところはあるけど、それで使いこなせないとしたら、貴方、経営者として失格よ。ね、美穂ちゃんを頼んだわよ」。(ちょっとぉ…なんぼ社長と親しいか知らんけど、そんだけ好きなことポンポン言われたら、私かて立場ないし、いくら温厚な社長でも、そら気ぃ悪いわ…!!)ところが、友人の暴言に狼狽する私を尻目に、社長は気ぃ悪うするどころか、むしろ微笑を浮かべながら、黙ってゆっくりと頷きはったんです。

 それから1週間ほど後、とんでもない報せが飛び込んで来ました。こともあろうに、その友人が持病の悪化を苦に、自宅マンションの屋上から飛び降り自殺してしもてん!! 友人は、そんな素振りはちょっとも見せんと、最後の元気を振り絞って、わざわざ"遺言"を残しに来てくれてんね。「美穂ちゃん、社長を信じて、もっと積極的に人生を切り拓いていくのよ」て…。この出来事を機に、私は、ほんまに役立つ社員になるつもりやったら、いつまでもキナキナ悩んでばっかりおらんと、何ごとにも思い切って挑戦して行かなあかんと心に誓うたんです。

初めての修羅場
 その年、大阪のある業界団体が大規模なイベントと展示会を催すことになり、たまたま韓国に親しい友人を持つ社長が、その"つて"で、韓国では著名なアーティストをゲストとして招聘するお手伝いをすることになりました。もちろんボランティアで…。

 韓国はすぐお隣の国やのに、日本と言語も違えば、ものの考え方、時間の観念もえらい違うもんやね。たった1人を呼ぶために、どんだけの労力を費やしたか分かりませんが、どうにか本番の前日まで漕ぎ着け、社長と2人で、当時はまだ国際空港やった伊丹空港へ、アーティストご一行を迎えに行く運びとなりました。

 …ところが、名前を大きいに書いた紙を持って、到着ロビーで待てど暮らせど、一向に出てくる様子があれへんねん。(ひょっとしたら…すっぽかし? 事故?)良からぬ想像が脳裏をよぎり始めた頃、警察官みたいな制服を来た入国管理官が、ツカツカと歩み寄って来はりました。「出迎えの方ですか。携行品が多すぎるので、このままでは入国させられません。一旦荷物を航空会社の倉庫に預けて、通関業者に輸入の手続きをしてもらって下さい」「それ、何時間かかりますのん?」「かなりの品目がありますから、最低2日間は掛かるでしょう」「えぇ〜っ!? そらぁ困ったわぁ。明日からのイベントで使う展示品とか衣装やねんもん」「ともかく、輸入手続をとってもらうしか引き取る方法はありません」。

 堅い話になりますけど、商品見本とか展示会の出品物など、販売目的ではない高価な物品を免税扱いで外国へ一時的に持ち込むときは、自国で特別な証明書を発行してもろた上、自分の手荷物として申告せなあきません。事前の打合せで、この手続きをくどいほど説明してたにも拘らず、先方さんは「わかったわかった」と言いながら、肝心のとこをあんばい聞いてくれてへんかってんねぇ。荷物を没収された上、別室で長いこと待たされたアーティストは、同行のスタッフをえらい剣幕で叱りつけてはりました。

 「団体の会長が来てお願いしても駄目ですか?」もひとつ事態が飲み込めてない社長の質問に、入国管理官は「たとえ天皇陛下がお越しになっても、法を犯すことはできません」と冷ややかに答えはっただけでした。

そない簡単には諦めへん!
 「初めて仰せ遣った大役なのに、大チョンボだ…」。社長は既に観念して、イベントに大きな穴を空けた始末をどうつけるかを考え始めはったようでした。一方、以前に貿易業務に携わった経験のあった私は、"駄目元"である作戦を実行しょうと画策してたんです。どんなことにも抜け道があるのが世の常やからね。

 まず常套手段、「ひたすら謝って、入国管理官の慈悲を乞う」…これは通用せえへんねぇ。次に、「悲壮感を全身に漂わせ、涙を流して同情を買う」…これも演技力不足で失敗。そないなったら最後は、「超法規的な手段を取る」しかあれへん。私は、昔一度だけお邪魔したことのある空港内の通関会社に、夢中で駆け込みました。そしたら運よく、当時の顔見知りの人がまだ在職してはってん!

 「小山ちゃんか、久しぶりやなぁ。えらい血相変えてどないしたん?」私は藁にもすがる気持で、こと細かに事情を説明しました。「う〜ん…。そら、困ったこっちゃなぁ」。そして、長〜い沈黙の後、彼は決意を固めて言いました。「よっしゃ、僕に任しとき」…まさに、救世主現る! その人が、どういう"裏技"を使ぅて数時間で通関を上げてくれたかというお話は、なんぼ"時効"が成立してるとはいえ、控えさせてもらいます。ともかく、こうして大イベントはつつがなく開催され、国際親善に一役買うた社長は、一躍ヒーローになりはってんよ。

 「オレには、君が"女神さま"に見えるよ」。歯の浮くような台詞やけど、社長は案外、本気で言うてはるようでした。「君の土壇場の行動力は大したもんだ。人との縁を大事にしているから、救世主に巡り合うこともできた。それに、最後まで諦めないで、あの手この手を試してみる粘り強さには見習うべきこともあったよ…。ふふふ、だけどな、男にもそれぐらい粘り強く迫れるようになったら、彼氏なんてすぐできるぞぉ♪」(なんやて〜!? 一言多いオッサンやわ、ほんま!)。本来やったら"セクハラ罪"でしばきあげなあかんほどのオヤジ発言やけど、この時ばかりは、感謝と労いの心が一杯詰まった、ありがたい訓辞に聞こえたから不思議やねぇ。

なんで今さら履歴書やのん?
 「小山君が貿易に詳しくて命拾いしたよ。そういえば、うちへ来る前はどんな仕事をしてたんだ?」。社長は、この時になって初めて、私が面接に履歴書を忘れてきたまま、その後も提出してなかったことを思い出しはってんよ。一体、なんぼほど月日が経ったと思ぅてはるねんやろねぇ。そこで私は、便箋に名前・住所・生年月日以下、履歴書と同じような内容を書いて、社長に渡しました。

 「貿易実務って、タイプライターで書類を作るんだろ? 英語は喋れるのか?」「いえ、会話は中学生並みです」「おぉ〜っ! この英語の資格、難関と言われるやつじゃないかぁ!!」(そない立ち上がって驚かんでも…)「あぁ、それ…アメリカ人の面接官の採点が甘ぅて、おまけで通してくれはっただけですわ」。

 北国の僻地で高校までを過ごした社長は、英語教育をきちんと受けられへんかったため(…とは、本人の説)、文学青年の割には英語が大の苦手。そやから、私が多少なりとも英語の読み書きができると聞いて、我がことのように有頂天にならはったんです。そして早速、親しい通訳会社の社長さんに電話を入れて、訳のわからん自慢を始めました。「当社にもついに英語のできる才媛が入ってきたんですよ〜♪」

 「社長〜っ! やめといて下さい。そないなしょうむないこと本職に自慢しても、アホやと思われるだけですよ〜っ!!」けど、それ以降、社長の親バカならぬ"上司バカ"は止まらんようになってしもてん。
 どないしょう〜!?
つづく
(July 2003)

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