<第5話>

 小学4年生の夏休み、学校のプールで開かれた水泳教室のあと、私は数人の友達と、体育館で鉄棒やら跳び箱やら、体操競技の真似事を楽しんでいました。すると、クラブ活動以外では使用禁止で、日頃は天井高くに固定されていた鉄製の吊り輪が、その日に限って、誰かが後始末を忘れたのか、私の目の高さまでぶらりと垂れ下がっていました。

 やんちゃ盛りの子どもらが、この好機を見逃すはずがありません。早速、いたずらっ子の律子ちゃんが、その吊り輪を私めがけてビューン! すかさず私が、ナイスキャッチ…できたらよかってんけど、ちょっと反射神経が鈍かったため、その重くて堅い鉄の輪を、手ぇやなく、もろに顔面で受けてしもたんです。
 ガシッ! 鈍い音とともに、両眼から無数の火花が散ったかと思うと、私の額からドクドクと血が噴き出しました。お気に入りの白い木綿のワンピースは、みるみる真っ赤に染まっていきます。周囲の友だちも、居合わせた保護者も、ホラー映画さながらの光景に、呆然と立ち尽くすばかり。私はタオルで額を押さえ、自力で保健室に駆け込みました。

 ほどなく当直の先生が来て、私を抱きかかえ、近くの救急病院に走ってくれました。「誰がこんなケガさせたんや?」(そんなこと、今は関係ないやん。それより私、出血多量でこのまま死ぬんやろか…)。次第に薄れる意識の中で、私はそんなことをぼんやりと考えていました。
 診察の結果、傷口は頭蓋骨が見えるほどパックリ割れていたものの、幸い、骨や脳に別状はないとのことでした。優しそうな整形外科のお医者さんが、「痛かったやろうに、ちょっとも泣かんと、我慢強い子ぉやなぁ。女の子やから、なるべく傷が目立たんように、きれいに縫うたげるわな」と、懸命に私を励ましながら、丁寧に治療してくれました。

 けど、難儀なんはその後やってん。「誰がケガをさせたか調べます」「吊り輪を下げたまま放置した生徒を突き止めます」「治療費は…云々」。先生方やPTAの役員さんが、次々私の家に来て言うことは、そんな責任問題ばっかり。「傷の具合は?」とか、「周囲の大人が不注意でした」とか、私を思いやる肝心の言葉を、みんなが忘れてはるようでした。
 そして、ついに母の怒りが爆発しました。「子ども同士で起きた事故に、誰のせいもない。最高責任者である校長先生が真っ先に飛んできて、自分の目で容態を確かめて、一言、心から優しい言葉をかけてくれさえしたら、たとえ美穂が不自由な体になったとしても、文句は言いまへん。原因究明は、その後の問題です」。

 その夜、慌ててやって来た校長先生は、深々と頭を下げて言いました。「私が至らんかったばっかりに、痛い目をさせてすまなんだね…」。
 律子ちゃんとお母さんが現われたのは、それから10日ほど後のことでした。何やら様子の変な律子ちゃんを問い質して、初めて事故のことを知ったお母さんは、気の毒なほど憔悴しきった表情でした。「誰でも過ちはありますわ。それに、うちの子も、ボ?ッとしてますよってにねぇ…」。母は、律子ちゃんを責めるようなことは、一切言いませんでした。

 時代劇の悪役みたいな"向こう傷"を負うて、将来を悲観する(?)私に、母は言いました。「頭の中身が無事でよかったやないの。人の顔の美醜を決めるのは心の持ちようや。性根の腐った人は、顔まで下品になる。逆に、人に思いやりを持って、明るく正直に生きてたら、自然と美しいええ顔になれるもんや。そやから、傷ぐらい気にせんでよろし」。

 私の額の傷跡は、すっかり薄ぅなった今でも、その時の母の言葉を思い起こしては、日々の生き方を照らす大切な道標。この頃、私、案外ええ顔になってきたかも…。■


『教育大阪 Vivo la Vita』2006年9月号掲載
イラスト 宮本ジジ http://miyajiji.net/

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