<第6話>

 小学生のころ、文章力と手先の器用さにかけては、私の右に出る者はいませんでした。ただし、それは表向きの姿。実は、私には力強い"影武者"がついていたんです。
 私の父はたいそう子煩悩。そして、学生時代は教育者を志していたというほど、勉強も好きやったそうです。夏休みが終わりに近づくと、家族が宿題に駆り出されるのは、どこの家庭にもある光景ですね。けど、わが家では、宿題を自分でちゃっちゃと片付けるのは当たり前。もっぱら問われたのは、その完成度の高さやったんです。

 特に、作文には必ず、元文学青年(?)の父のチェックが入ります。「楽しい体験談やのに、平坦に書いたらもったいない。どこかに山場が必要や…」。少しずつ加筆訂正を繰り返すうち、私の文章は、子どもらしさを保ちつつも、洗練された短編小説に大変身。読書感想文も同様で、「もっと感情が伝わるように、このへんの言い回しをもっかい(もう一度)考えてみ」という、父の的を射たアドバイスにより、先生もうならせる感動巨編の一丁あがり。
 そんなわけで、私の書く文章は、いつしか学校新聞の常連となっていました。

 ゴーストライターの存在を知ってか知らずか、あるとき担任の先生が、私に作文コンクールへの応募を勧めてくださいました。もちろん自作が条件やけど、それだけでは先生の期待に応えられへん。やっぱりここは、父に応援を頼むよりほかありませんでした。果たして父の…いや、私の力作はみごと優秀賞に輝き、ラジオの教育番組でも紹介されました。

 工作となると、さらに助っ人が加わります。5年生の夏休みのこと。「今年の図工の宿題は、お城の模型やねん」。手ぐすねひいて待っていた父と兄が、手際よく展開図を描き始めます。躾に厳しい母は手こそ貸しませんが、自他ともに認める廃物利用の達人だけあって、和菓子の包装紙や空き瓶、発泡スチロールなど、家中から色んな材料を調達してくれます。私は兄から指示されるまま、部品を糊付したり、色を塗るだけで、あれよあれよという間に、石垣や庭園まで完備したリアルな大阪城が完成。
 父と兄は、私を手助けするというより、年々レベルアップする課題に挑戦するのを、自分らも楽しんでいたのかもしれません。

 大きなお城を運ぶのは大変やろと、父は、段ボール箱の四隅に取手を付け、特製の運搬装置まで作ってくれました。「これだけお膳立てをしてもろて、私の作品と言えるんやろか」…一抹の自責の念に駆られつつ、同級生の手を借りて、お神輿みたいに学校まで担いでいった精巧な模型は、早速、図工室に展示されることになりました。けど私は、自分の後ろめたい行為が白日のもとに晒されるような気がして、針のむしろに座るような思いでした。

 級友たちは、はなからつくる気がない子、未完成のまま持ってくる子、明らかに大人が作ったものを平然と提出する子など、様々でした。その時、ある男の子が大事そうに抱えている小さな模型に、私の目は釘付けになりました。広告のチラシを集めてつくった西洋風の古城は、はっきり言うて不格好。そやのに、何ともいえん手づくりの風合いがありました。それを自分ひとりで作る時の苦労を語る彼の瞳は、羨ましいほどキラキラ輝いていました。

 私は自分の甘さを反省し、しっかりと肝に銘じました。「何事も、自分で考え、自分で精一杯取り組んでこそ、初めて達成感と喜びが味わえるもんやねんなぁ」と。
 …え? この文章ですか? もちろん、正真正銘、ぜ〜んぶ自前ですよ。■


『教育大阪 Vivo la Vita』2006年10月号掲載
イラスト 宮本ジジ http://miyajiji.net/

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