<第8話>
妹は見た…!

 「美穂ちゃん、今度の日曜日、うちへ来てな〜」。幼稚園で同じ組の正彦くんが、得意満面で手渡してくれたカードには、虹色のサインペンで描かれた「おたんじょう会」の文字が躍っていました。生まれて初めてのおよばれ! 期待と興奮で、私の胸は高鳴りました。
 精一杯おめかしをして、千代紙で手づくりした贈り物を小脇に抱え、正彦くんの家の門をくぐると、豪華な飾りつけと無数のオモチャに彩られた、お伽の国が広がっていました。3段重ねのケーキを前に、家族や友だちから祝福を受ける正彦くんは、さしずめ小さな王子様。私にとっては、七夕とクリスマスが一緒に来たような夢のひとときでした。

 それからというもの、どういう訳かお誕生会が流行し、私は立て続けに友だちの家に招待されるようになりました。ところがある日、近所の由美子ちゃんがちょっと怪訝そうに、私に尋ねました。「美穂ちゃんの誕生日には、私ら呼んでくれへんのん?」…。
 わが家は商売が忙しかったせいか、家族の誰の誕生日も取り立ててお祝いする習慣はなく、せいぜい市場のお菓子屋さんでケーキを一切れ買うてもらうのが関の山。運の悪い時には、本人も気づかんままに、うかっとその日が過ぎている年もあったほどでした。ましてや職住一体の殺伐とした(?)家に、友達を招待してパーティを開いて欲しいなどと言い出せるはずもなく、私はひとり、片身の狭い思いを募らせていました。

 けど、その年の誕生日。私の寂しい胸中を察したのか、父は忙しい仕事の合間を縫うて、大きなバースデーケーキを買うて来てくれました。そして母が、私の"誕生秘話"を懐かしそうに語ってくれたんです。「お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、お父ちゃんもお兄ちゃんたちも、『3番目は絶対に女の子を産んでや』て無茶なこと、何べんも言うててんよ…」。
 逸話はそれだけやありませんでした。昔の商家には、年の初めのお客さんが女性やったら、その年には女の赤ちゃんが生まれるという言い伝えがあったそうです。「そんなこと、もちろん迷信やけど、近所のおばちゃんらが誘い合わせて、1月1日の朝一番にうちへ来て、『可愛らしい女の子が生まれますように』て、皆で"おまじない"をしてくれはってんよ」。

 父は、私が生まれる数ヵ月も前から、女の子用の玩具を買い揃え、女の子の名前しか考えへんかったという徹底ぶり。私は、家族だけではなく、ご近所の期待も一身に背負い、皆から望まれてこの世に生を受けた、誰よりも幸せな赤ちゃんやってんね。
 そのことを悟ったとき、それまでの悶々たる思いはウソのように吹き飛びました。
 「そやけど、もし私が男の子やったら、誰も喜んでくれへんかったん?」。恐る恐る聞く私に、母は笑顔で答えました。「おなかの中で動く様子が、それまでより優しいから、女の赤ちゃんやと確信してた。けど、もし男の子やったとしたら、3人兄弟も賑やかでええやないの。無事に生まれてくれさえすれば、性別はどっちでもええと初めから思うてたよ」…。

 それから数十年を経た今年、私は記念すべき誕生日を迎えました。何しろ日本国中あげてお祝いムード一色やったんですから…。ただし、私のためやありません。秋篠宮家に親王さまがお生まれになった日が、偶然にも私の誕生日。「どんな状況にあっても、自然の形で受け止めたいので、生まれてくる子の性別は知る必要はなかった」と仰った両殿下のお言葉に、子を持つ親の深い愛情を痛感した、やんごとなき誕生日でありました。■


『教育大阪 Vivo la Vita』2006年12月号掲載
イラスト 宮本ジジ http://miyajiji.net/

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