第1回 人間万事塞翁が馬
      −還暦の年にあたり−

 2003年は、関西ジャーナル社の折目社長の急逝を皮切りに、小生の身辺には重大事件が続発し、忘れられない年となってしまった。

 最大の事件は、昨年来マスコミを賑わせている、大学医局による「医師の名義貸し問題」の余波で、小生の病院も社会保険事務局による監査を受けるに至り、最終的に、2003年9月21日、保険医療機関の取り消し処分を執行されたことだ。
(イラスト: Yurie Okada)

 4月には、長年頼りにしてきた妻が胃癌の診断を受け、5月連休明けに切除手術。進行癌で予後は楽観できずと、手術直後執刀医に宣告された。彼女の入院中、家事と仕事の両立は楽なものではなかった。
 ちょうど還暦の年に当たり、かねてから「還暦になったら院長職を部下に譲って、残りの人生は趣味に生きたい」と言ってきた自分の希望が、外圧によってはからずも実現してしまった。小生が医師としての生涯をかけてきた「菊地記念病院」は「遠軽共立病院」と改名され、病院機能はそっくりそのまま部下の医者が開業する形で引き継がれたのである。
 今朝(11月5日)の北海道新聞第1面では、国立八雲病院も同じ理由で保険医療機関指定を取り消されると報じられていたが、全くおかしな事態を作り出すものだ。国立病院さえ守ることのできない「標準医師数」に一体いつまで固執し続けるのか。地域医療の問題を抜本的に解決するために、しっかりとした本音の議論を急ぐべき時だ。
 
 言いたいことは山ほどあるが、自分自身の役割は、この問題に一石を投じたことで一応終わったと思っている。行政、大学医学部、医師会が阿吽の呼吸で運営してきた地域医療が、一朝一夕で改革されるとも思えない。そんなことに付き合っていたら、残りの人生を台無しにしてしまいそうだ。小生の言動が却って事態を悪化させる恐れがある、など書く新聞もあるから、ますます嫌気が差してしまった。

 昨年名義借りを自主的に是正申告したのは、黙認されてきた悪習を改善するきっかけになればと考えたためだが、臭いものに蓋で落着させたいような雰囲気も感じられる。

 皆さん、大変でしたねと言ってくれるが、自分としては生まれて初めてゆったりした自由時間を贈られたわけで、必ずしも意気消沈しているわけではない。

 人間万事塞翁が馬の心境である。
(November 2003)


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