<第1話>

 花の便りが各地に届き、ピカピカの1年生や新入社員の皆さんが、楽しげに町を闊歩してはるのを見かけると、なんや、こっちまで明るい未来が待ち受けてるような気がして、思わず頬もほころびますね。
 けど最近、子どもが事件に巻き込まれる痛ましいニュースが後を絶たず、とくに小さなお子さんをお持ちの親御(おやご)さんは、気の休まる暇もないでしょねぇ。そのため、地域ぐるみで自衛する動きが、このところずいぶん活発になってきたようですが、私らが小さいころは、近所の大人がどこの子でも分け隔てなく叱ったり、見守るしくみが自然と出来上がってたように思います。
 それが証拠に、日が暮れても外でウロウロしてようもんなら、よそのおばちゃんに「はよ帰らな"子取り"が連れに来るで〜」て脅かされ、一目散に家まで走って帰ったもんでした。
 わが家の決まりは、「公園の外灯が点いたら、皆で一緒に帰っといで。知らん人には絶対ついて行ったらあかん」ということでした。そやけど、この親の言いつけを忠実に守ってたにもかかわらず、小学校低学年のある夕暮れ、私は世にも恐ろしい事件に遭遇したんです。
 いつものように、仲良し数人で連れもって家路についたとき、見知らぬ男が、私らと一緒にいたヨシ子ちゃんに近づいてボソボソ話しかけたかと思うと、なんと、彼女の手を引いて連れ去ってしもたんです。
 「ヨシ子ちゃん、ついて行ったらあかん!」叫ぼと思ても、あまりの恐怖で声も出えへん。しかも、ほかの子らは逃げ帰ってしもた。それでも、男の人相をしっかり記憶に焼き付けた私は、息せき切ってヨシ子ちゃんの家に知らせに行きました。
 「おばちゃん、えらいこっちゃ。ヨシ子ちゃんが怖いおっちゃんに誘拐されたぁ〜」「え、ほんまかいな!」「うす汚れた作業服着て、ゲジゲジ眉毛で、ヒゲと鼻毛がボーボーで、前歯が2本も抜けてて、それから…」
 ところが、私の話が終わるか終わらんうちに、ヨシ子ちゃんのお母さん、プ〜ッと吹き出しはるやんか。
 「え…?」するとそこへ、駄菓子屋さんの袋を大事そうに抱えたヨシ子ちゃんが、さっきの男と手ぇつないで、満足そうな顔で帰ってきてん。「げげっ、ひょっとして、ヨシ子ちゃんのお父さんやったん…?」
 人さまの大切な父親を"誘拐犯"呼ばわりした上、人相風体まで取り返しのつかんほどボロクソに言うてしもた私は、申し訳ないやら気が抜けるやらで、思わず涙がポロリ。
 そしたら、お父さんは私の頭を撫ぜて言いはりました。
 「なんにも泣くことあれへん。うちの子のこと、そないに心配してくれて、おっちゃん、ほんまにうれしいねん。ヨシ子は勉強はあかんし、もっさりした子やけど、気立てだけはええさかい、これからも仲良うしたってや」
 そのとき初めて知ったんですけど、ヨシ子ちゃんは8人きょうだいの末っ子。大工で一家を支えるお父さんは、食べ盛りの子どもらを養うのが精一杯で、自分の身なりまでは、とてもやないけど手が回れへんかってんやろね。
 私は、その小汚い(失礼!)ヒゲ面にたたえた優しい微笑と、人懐っこそうな澄んだ目に、わが子を慈(いつく)しむ、深く尊い親心を痛いほど感じ、溢れる涙をぬぐうことも忘れてしもたのでありました。


『教育大阪 Vivo la Vita』2006年5月号掲載
イラスト 宮本ジジ http://miyajiji.net/

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