<シリーズ最終回>
お家騒動てんまつ記(下)

 小中学生の皆さんは、大きくなったら何になりたいと思ぅてはりますか? お母さん、お父さんがたは、子どものころ将来にどんな夢を描いてはりましたか?
 私は、小学生のときは警察官、中学生のときには世界で活躍する同時通訳、高校時代は獣医さんに憧れていました。要は、人さまの役に立つ仕事を生涯続けたいというが一番の願い。前途に果てしなく広がる明るい未来を予感し、希望に胸をふくらませていました。

 念願かなって、みごと志望の大学に合格…とあっさり運べば、何の変哲もないサクセスストーリー。実際には、そうは問屋が卸しませんでした。受験に失敗して、獣医の夢は儚く敗れ、私は生まれて初めての挫折感を味わうことになりました。
 けど、立ち直りの早さが私のええとこ。別の学校で英文学の立派な教授に師事する機会を得て、語学と国際的な知識を生かすという新たな職業観に目覚めたんです。ところが、就職試験にはことごとく不合格。やっと中堅の貿易会社から採用通知が届いたのは、卒業式の翌日でした。とはいえ、職種は希望の通りやし、熱心な上司の指導の甲斐あって、私の秘めたる才能(?)はみるみる開花。2年目には2人の部下を持つほどになりました。

 次に私を待ち受けていたのは、職場での陰湿ないじめでした。仕事に没頭しすぎたばっかりに、いつの間にやら、同僚との協調性を失うてたことに気づいても後の祭り。仕事には大いに未練を残しつつ、私は、5年間勤めた会社を辞めるしかありませんでした。

 失意の中、私は友人の強い勧めで、ある小さな新聞社の面接を受けました。聞けば、新聞以外に、地域活性化のための事業もたくさん手がけているとか。自分がマスコミの世界に適しているとはとても思えませんでしたが、誠実な社長の人柄に、私は運命的な出会いを感じたのでした。

 入社早々、事務所の切り盛りを一切任され、取材にも借り出され、未知の分野に挑戦する毎日は緊張の連続。けど、それほど信頼され、自由に働けるんですから、こんなにやり甲斐が実感できることはありません。「これぞ天職…」。日々、新たな人たちに出会い、多くのことを教わり、私は人生の絶頂期を謳歌していました。

 けど、幸せはそう長続きするもんやありません。心から尊敬していた社長が急逝し、私は再び職を失うてしもたんです。そのときの苦悩いかばかりか…と思いきや、不思議なことに、それまで感じたことのない力が、体中にみなぎってきたんです。それは、社長が生前、口癖のようにおっしゃっていた言葉が、私の脳裏にしっかり刻み込まれていたからでした。
 「どんなにつらい出来事でも、どんな些細なことでも、人生に無駄な経験などひとつもない。すべてを貴重な糧として、真摯に生きて行くことが、充実した生涯を送るということだ。そのとき何より大切なのは、周囲の人たちへの感謝の心を決して失わないことだ」。

 かくして、自他ともに認める逞しい女性へと華麗なる変貌を遂げた(?)私ですが、生まれてこの方、人が羨むような成功を収めた覚えはいっぺんもありません。そやけど、多少の失敗はチャンスに転じ、新たな道を拓く喜びは、ちょっとは学ばせてもろたんやないかと思います。そして、何よりの宝は、いつも人生の師に恵まれ、ようけの人にご縁をいただいて今日まで来られたことです。
 これからも皆さんに感謝し、そこそこ明るく、健康に暮らしていくことができれば、これほどの幸せはないと思ぅてます。■

(おわり)

『教育大阪 Vivo la Vita』2007年4月号掲載
イラスト 宮本ジジ http://miyajiji.net/

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